ぐうたら人間のヒトリゴト~心・身・写・音・暮~

一人暮らしの日々、仕事のこと、世の中のことを日記・記録・メモ・独り言としてとりあえず綴る場所・・・

保育士証を手に入れるまでの道のりが長かった。

ちょっと前に、保育士証が届きました。
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これまでは、幼稚園教諭(もしくは小学校教諭)としてしか働くことができませんでしたが、これで、ようやく保育士&幼稚園教諭として働くことができます。
(実務経験は幼稚園・小学校しかないので、いきなり保育園で働ける気はしませんが。)



それにしても、どんな資格もそうなのかもしれませんが、手続きがいろいろ必要なのが、ちょっとだけ大変だなと思いました。


前にも書きましたが、まず、試験を受けるまでの道のりがちょっぴり大変でした。
ama-shinon.hatenablog.com

あまり覚えていませんけど、

受験申請のための手引きを取り寄せる

郵便局の窓口が開いている時間に受験料を振り込む
証明写真を撮る

受験申請書を簡易書留で送る(たぶん)

受験票が届く

だったと思います。

これくらい当然なのだろうとは思いますが、
何が大変って、受験料を窓口で振り込まなあかんので、仕事をしていると、なかなか振り込みに行けなかったことです。
それが無理なので、受験を諦めようと思ったときもあったくらいです。

あと、気合いの問題かもしれませんが、手引きの申請期間が短いので、「ぼんやりしていたら締め切りが過ぎていた」ということもありました。
ama-shinon.hatenablog.com



で、合格してからも、手続きは続きました。

試験合格

規定の大きさの封筒を買う
登録申請書を取り寄せる

登録料を郵便局の窓口で振り込む

申請書を簡易書留で送る

2か月後くらいに保育士証が届く


だったと思います。

これまた、「窓口での振り込み」がありました。
なので、合格後の手続きは、仕事を辞めてからしました。


そんな若干の苦労を乗り越えてのものなので、大事にしようと思います。


つづく。

あのときのみんなの我慢やがんばりが水の泡になりませんように。

暗い話題であれですが、最近、また新型コロナウイルスの感染者が増えてきています。

ニュースで報道されている部分や自分の周りの状況だけの情報で言ったら駄目かもしれませんが、一時期と比べると、みなさんの気持ち・行動がとても緩んできています。
いや、緩みすぎです。

なので、感染者が増えるのは、当然です。


若者がどうとか言われていますけど、いろいろな制限を解除するときに、しっかりと説明をしなかったのも良くないよなと思っています。
「解除?もういいんや!いえ~い!」ってなる若者が出てくることは簡単に想像ができたことなので。
わたしも若者だったら、緩んでたかもしれませんし。

しかも、解除後「このままいくと、ちょっと危ないな」という状況になってきても、政治家の方々は「まだ大丈夫」みたいなことを言っていたのですから、そりゃ増える一方に決まっているよな、と思います。

増えてから「警戒せよ」というのでは遅いのです。
増える一歩手前で、早め早めに動いていかないと手遅れになります。

今回、改めて、「のんきな政治家さんに任せていたら、駄目なのだな」と思いました。
政治家さんは、わたしたちの命は守ってくれません。
自分たちの身は自分たちで守るしかないのです。



しつこくてすみませんが、
2月の終わりに、急に休校要請が出て、大事な学年末がなくなりました。
貴重な1ヶ月をなくされました。

その後、いろいろなことが自粛され、みんなで我慢をしてきました。

今となっては、それも仕方なかったのかなと思いますが、そうやってがんばってきたことが報われず、水の泡になってしまうと、とても残念です。
「せっかくがんばってきたのに」「あの努力はなんだったのか」となるのは、ちょっと悲しいです。


そうならないように、初心を忘れず、引き続き、気を引き締めていきたいと思うこの頃です。

苦しみから逃れるための救い・支えがないとわかって、悟りを開きたくなった。

自分ではどうしようもない状況・前にも後ろにも進めないような絶望感の中にいると、気持ちがしんどくなり、何か救いになることを探してしまいます。
ちょっとでも気持ちが楽になるといいなと願って、必死になって探してしまいます。

世の中には、いろいろな宗教がありますが、それにすがりたくなる気持ちがよくわかります。


体に異変を感じた話を前に書きました。
ama-shinon.hatenablog.com


結局は何事もなかったのですけど、
結果がわかるまでは、とても不安で、言葉では言い表せないくらいのどうしようもない気持ちでいっぱいでした。

不安から逃れるために、楽しいことを考えようとするのですけど、無理でした。
心の拠り所となるものを考えましたが、何も支えにはなりませんでした。

とにかく、何をしても、何を聞いても、何を見ても、心のどこかにある重いものがなくなることはありませんでした。


わたしが、小心者で、ビビりで、打たれ弱くて、脆いからそうなるのでしょうけど、世の中のわたし以外の人はすごいなと思いました。
いろいろありながらも、なんでもないような感じで過ごすことができるのですから。

いや、もちろん、心の中にそういうのを忍ばせてはいるのでしょうが、それを醸し出さないのがすごいです。
わたしは、無表情・無気力になるので。


とにかく、何も救いにならないし、支えにもならないということがわかりました。
(あくまでも「わたしの場合は」です)
結局は、自分自身で乗り越えるしかないのです。

なので、わたしはとうとう「悟りを開いたら楽になれるのかな」というところにまで行ってしまいました。
自分の中の感情を全てなくしたかったのです。

そして、悟りを開くための方法を調べてみました。
が、ちょっと難しそうでした。

なので、あきらめました。


悟りは無理でも、何事にも動じない心の強さみたいなものは欲しいなと思いますが、無理なのでしょうか。

クラシック三昧。

この2~3日、クラシック音楽を聴いています。

じっくり聴くというよりは、部屋にあるCDをPCに取り込みながら、なんとなく聴いたり、懐かしんだりしている感じです。
自分でもよくわかっていませんが、もしかすると20年振りくらいに聴くCDもあるかもしれません。


*****


ここ2~3日、学校の夢を続けてみました。
どれも「卒業式」とか「6年生」に関するものでした。

最近、なんであんな夢を見るのだろう?と思っていたのですが、今日、ふと気づきました。
たぶん、日中に聴いている音楽のせいです。
卒業式はクラシック音楽が使われることがあるので。
そこから学校の記憶がよみがえってきたのだろうと思います。


*****


こんなことを書いていますが、わたしは別にクラシック音楽に詳しいわけではありません。
なんとなく惹かれるときがあるというか、なんとなく好きなときがあるだけです。

聴かないときは、何年も聴きません。
なんでも聴くわけでもなく、好きな曲もあれば、退屈になる曲もあります。


*****


こういうのは、いつくらいから聴き始めたのでしょう??

よく「親の影響で」「幼いころから」などと聞きますが、わたしは全く違います。
身近なところに音楽があったわけでなく、一人で勝手に音楽が好きでした。
楽器だって一人で勝手に好きでした。


いつくらいから聴き始めたかは、わかりませんが、
小学校高学年か中学生のときに、テレビでパッヘルベルの「カノン」を聴いたときに、衝撃を受けたことだけは鮮明に覚えています。

自分でも意味がわからないのですが、鳥肌が立つというか涙が出そうになるというか、なんとも言えない大きな感動がやってきました。

あんなにも衝撃を受けたのは、あの曲だけです。
自分でもびっくりするくらいの出来事で、不思議すぎたので、当時は「もしかして、わたしはパッヘルベルさんの生まれ変わりなのかな?」と思ったくらいです。
(こんなに惹かれたのに「カノン」のCDは持っていません。)


*****


久々に聴いていると、クラシックの作曲家ってすごいなぁと、つくづく思います。

限られた状況の中、というか、今みたいなハイテクな状況ではない中で作った作品たちが、こうやってものすごい年月を経ても引き継がれていくというか、いまだにこうやって人の心を動かすのです。

聴いていると、そのときの空気感とか状況・時代などが、ふわっと感じられるときがあって、ぐっときます。
作曲したときの背景とかはわからないまま聴いているものがほとんどなので、全てわたしの勝手な妄想になるのですけど。


*****


今日は、一日中、雨でした。
雨とクラシックは合うなぁと思いました。

6月の食費と買い出しの話。

今日から7月です。
無職生活も3ヶ月を終え、4ヶ月目に突入です。

無職生活になってから、自分のだいたいの月の支出を知りたくて、簡単に家計簿をつけ始めました。
と言っても、アプリを使って、入力しているだけですが。
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3ヶ月経ち、月にどれくらい出費があるか、つかめてきつつありますが、一番の負担は、国保・住民税・年金関係の出費だということがわかりました。
それ以外だったら、最初に思っていたよりも少しの金額で生活できているので。


ということで、6月の食費は、8033円でした。

4月は、15141
5月は、11784
6月は、 8033

なぜか、どんどん下がってきています。

4、5月の経験で、「食費は、だいたい1万を少し越えるくらいなのだな」と思っていたのですが、今月は1万を切っていました。

「節約をがんばろう」とか
「食べる量を減らそう」とか
意識したわけではなく、むしろ、
「体のためにも食べるものには気をつかおう」と改めて思い始めましたし、最近は、1日3食摂るようにもなりました。

なのに、出費は減るのですね。
不思議です。



唯一、考えられる原因は、「スーパーに行く回数が増えたから」かもしれません。
(回数が増えたのに、出費が減るって、矛盾しているかもしれませんが。)

4、5月は自粛の意識があったので、1週間に1~2回の買い出しで済ませるようにしていましたが、最近は、ほぼ毎日、スーパーに行っています。

ただ、毎日行っていますが、毎日買っているわけではなく、店内をぐるっと回って、惹かれるものがないときは、そのまま退店します。
その日に必要なものや「お買い得」のものがあれば買う、という感じです。

毎日行ってみると、思いがけずお買い得なものを見つける回数が増えます。
「おっ、○○が半額になってる」とか
「本日限りで、お肉が安い」とか。

週に1~2回の買い出しだと、そんなラッキーに出会う回数が少なかったのかもしれません。
数日分の食材を、少ない回数で買うとなると、行った日の値段で買うことになりますし。

ということで、わたしの場合は、こまめに行く方が買い物がうまくいくのかなと思ったわけです。

もちろん、マスクをして、消毒もして、短時間の滞在ですませるようにはしています。


ama-shinon.hatenablog.com
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自分の体は、自分が食べるものでできている。

前回からの続きみたいなものです。
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今回、体・健康について考える機会がやってきたおかげで、自分の生活を振り返ることができました。
そして、「これからは、食べるものをもう少しきちんとしよう」と思いました。

自分の体は、自分が食べるもので作られています。
だから、食べるものが体に与える影響は大きいと思ったのです。


と言っても、数年前から、食べるものには、少しだけ気をつけてはいるつもりです。
まぁ、調味料や加工食品などを買うときに、原材料などをチェックする程度ですが。

それでも、昔は「お買い得であれば、別に何でも良い」という感じでしたが、
数年前から、余計なもの(添加物)が色々入っていないものを選んだり、体によろしくないものが入っているものは避けたり、とかをするようになったのです。


あと、味付けも薄味にしています。
使っている調味料もシンプルなものになりました。


あとは、以前も書きましたが、
ロウカット玄米を食べている時期もありましたし、
もち麦を混ぜている時期もありましたし、
よさげなお茶を使ったこともありましたし、
コーヒーはカフェインレスに変えましたし、
砂糖は基本は黒糖ですし、
塩もミネラルがどうのこうのっていう塩です。



が、今回、改めて、しっかりと自分の生活を振り返ってみると、
「(上に書いたように)少しは気をつけていたつもりだったけど、全然あかんかったな」ということに気づきました。


多忙期は、惣菜コンビニ弁当インスタント食品に頼ってしまっていました。
しかも、軽くではなく、満腹になるまで食べていました。

職場でお腹が空いたら、菓子パンお菓子などを、気にせずばくばく食べてしまっていました。
給食は、もちろん、早食いです。

甘い洋菓子ファーストフード、大好きでした。

ラーメンにはまって、毎週、ラーメンやさんに行っていた時期もありました。
遅い時間にラーメンチャーハンのセットなんて、食べ過ぎです。


いくら昔よりは食材に気をつけるようになったと言っても、こんな食生活では駄目ですね。



無職になった4月から自炊をしているので、今は、よろしくないものを食べることは、減りましたが、この食生活を続けないと意味はありません。

日々の積み重ねが大事なのだと思います。

時々の暴食は良いですけど、習慣のようになると駄目です。


とりあえず、
むやみやたらとお菓子や菓子パンは食べません。
(これは我慢しているわけでなく、仕事を辞めたら、食べたくなくなりました)
これまで通り、添加物控えめ食品を買います。
味付けも薄めでいきます。
外食することがあったら、できるだけ和系で攻めます。
普段の食事も和食を多めにします。


ついでに、
早食いは止めて、よく噛んで食べます。
腹八分目を意識します。



もちろん、食べ物だけじゃなく、運動とか睡眠とかも大事なのですけど、口に入れるものなので、よく考えたいなと思うこの頃です。

体に異変を感じてから健康に感謝するようになるのではなく、常に感謝していたい。

少し前のことなのですけど、体に異変を感じたことがありました。

厳密に言うと、異変は前から感じていたのですが、気にせずにしたままにしていて。
で、あるきっかけで、再度、気になりはじめた感じです。


気になるなら、さっさと病院に行けば良いのですが、「病院嫌い」なので、ものすごく迷います。

病院自体も苦手なのですが、行った結果、「良くないことがわかること」も嫌なのです。



バセドウ病も顔面神経麻痺も、わかったときは、そんなにショックは受けなかったのですけど。
(いや、顔面神経麻痺は、後遺症がどうなるか気になって、少しだけショックでした)
でも、命に関わるかもしれない結果とかなら、やっぱり聞きたくない・知りたくないな…と。



そんなわけなので、しばらくの間、自分の中で、あれこれ葛藤していました。

病院に行くか、行かないか。
行くなら、どこにするか。
近い方がよいのか、遠くても安心できるところがよいのか。
結果がわかったら、どうするか。
知らない方が幸せかもしれないから、やっぱり、行かずに放置すべきか。
などなど。



と同時に、これまでの自分の振る舞いを反省しました。

元気でいられるだけで、ありがたいことなのに、
それ以上のことを望んだり、
周りのあれこれに不満を抱いたり、
見た目の老化に抵抗しようとしたり、
節約をがんばろうとしたり…
なんて贅沢な生き方をしてきてしまったのか、と。

命があるだけでありがたいことなのに、と。


いろいろ、反省もして、感謝もして、
そして、その後、思いきって病院に行きました。

で、自分が感じていた異変は問題がないことがわかりました。


でも、この機会に色々考えたことは、忘れてはいけないし、忘れたくないなと思いました。

贅沢を言わずに、謙虚に穏やかに生きるべきだと思いました。


今のところ、この経験のおかげで、とてもゆったりとした気持ちで過ごせている気がします。
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つづく。
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感謝の気持ちを忘れずに。

「健康第一」とか「何事も体が資本」とか、
そんなことをわたしはよく言うのですが。

もちろん、これまでも、そう思ってきましたが。

最近、改めて、それを強く感じる日々です。


と同時に、いろいろなことに「感謝」を感じる日々です。

少し前までは、いろいろなことが当たり前に思えてしまって、しばらく感謝の気持ちを忘れていました。

でも、反省しました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。


おおげさかもしれませんが、全ての人に感謝しています。

さらに言うと、全ての人が笑って過ごせるようになったらいいなぁと思っています。

つらい思いをする人が減ってほしいです。

そのために、わたしは、大きなことはできませんけど、
わたしの周りの人(少しでも関わる人・その辺ですれ違うだけの人も)が、嫌な気持ちになるような言動はしないように心がけたいと思っています。


穏やかに。
謙虚に。です。

ありがとうございます。

室内の片付けと手作りマスク。

何度か書いていますが、4月から少しずつ室内の片付けをしています。

もう少しで、「一通り片付けた」という段階に入りそうです。

そんな広い室内でもないのに時間がかかりすぎでしょうか。

ちなみに、ここで言う「片付けた」の意味は、
「中を確認して、“いる”“いらない”に分けて、もう一度、片付け直す」ということです。

今のわたしは、どこに何があるかすら、把握していない状態なので、それをしているのです。


ということで、気が向いた日に、一ヶ所ずつ開けてみて、中を確認して…ということを少しずつしています。

確認した結果、“いらない”に入ったのは、どれくらいでしょう?
これまでに捨てた量はどれくらいでしょう?

「ごみ袋○つ分」などと言いたいのですけど、少しずつ進めていたので、わかりません。

そんなにたいした量ではないような気もしますが、それなりに捨てたつもりです。
棚やクローゼットの中に余裕が生まれましたので。


***


「どこに何があるかすら、把握していない」ということは、いろいろな発見があるということです。
「こんなところにこんなものが!」です。

懐かしいものだったり、
紛失したと思っていたものだったり、
記憶にないものだったり…いろいろです。

仕事をしていたら、「そんな発見は時間がもったいない」というか、「そんなんだから片付けに時間がかかる」「片付けはやめておこう」となるのですけど、今は仕事をしていないので、その発見に付き合うことができます。
ありがたいことです。


***


数日前、クローゼットの上段・中段を整理しました。

いらない箱・カバン・服…いろいろ出てきました。

その中に、ハンカチが何枚かありました。


以前、書きましたが、普段は、わたしはハンドタオル(タオルハンカチ)しか使わないので、「手作りマスクは作れないな」と思っていたのです。
「布なんかないよ」と。

なので、こんなところにハンカチがあったとは…です。

ただ、
これからの時期、これで作ったマスクは暑いかな…とか、
この柄のマスクをするのは勇気がいるな…などと思ってもいます。

どうしようか迷うところです。

まぁ、そもそも、不器用なので、作れるかどうかすら、わからないのですけど。



今、読み返したら、「よさげな布が出てきたら、そのときは、真面目に作ろうとは思っています。」って書いてる。
ama-shinon.hatenablog.com

給付金の申請書を出した。マスクはまだ。

ずいぶん前に、「特別定額給付金」の申請書が届きました。
(5月の下旬頃だったかね?)

今日、ようやく申請書をポストに投函してきました。

もっと早く送れば良かったのですけど、申請書に記入するだけじゃなくて、本人確認のためのコピーなどが必要やったので、それらをぼちぼちしていたら、今になってしまったのです。

それにしても、これを処理する役所の人は大変やろうなと思いました。
感謝です。


***


一方、マスクは、まだ届いていません。

ちょっと前に、道端で、届いたばかりのようなマスクの写真を撮っている人がいたので、うちにもそろそろ届くかなと思っていたのですけど。

もしかして、忘れられているのでしょうか。
もう届かないのかな。

まぁ、仕方ありません。