1995年の阪神大震災から25年が経ちました。
毎年のように、ここには書いていますが、やっぱりこの時期になると書いてしまいます。
今年は、25年ということもあってか、いつも以上に考えることがあり、何をどう書いて良いか、頭の中が整わないのですが、書きます。
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比べるのは変かもしれませんが、戦争を経験した人が、それを一生懸命、次の世代に語り継いでおられるように、わたしも地震当日のことを、子どもたちに伝えたいなと年々思うようになっています。
戦争は人災で地震は天災なので、全然違うのですが、「過去から学ぶ」とか「命の大切さを考える」という意味では共通するところがあるのかなぁとも、今日、ふと思っていました。
正直言って、25年も前の震災の話なんて、今の子どもたちに言う必要はないのかもしれません。
職場でも「必ず、その話題をしましょう。」なんて通達は全くありませんでしたし。
でも、わたしは伝えたくて、少しの資料を用意して、話す時間を作りました。
話す、と言っても、当時わたしが経験したこと・感じたこと・思ったことをしゃべっただけですが。
しゃべったあとも、「しゃべって何になったのだろう?」と、少し思ったのは確かです。
だって、戦争の話だったら、それを聞くことで「戦争は二度としてはいけないな」とか「平和のために自分ができることは何かな」とか考えることができますが、地震はいくら用心していても、襲ってくるのですから。
ですが、目の前にいるわたしが、そんな大きな地震を経験したということで、「地震への備え意識」みたいなものが増す人がいるかもしれませんし、炊き出しなどの話もしたので、そこからボランティアへの思いが出てくる人がいるかもしれません。
まぁ、どれも「かも」なので、もしかすると、なんの意味もなかったのかもしれませんが、たぶん、今後もわたしは伝え続けていくのだろうと思います。
おわり。(つづく)