ぐうたら人間のヒトリゴト~心・身・写・音・暮~

一人暮らしの日々、仕事のこと、世の中のことを日記・記録・メモ・独り言としてとりあえず綴る場所・・・

コロナも嫌やけど、そのせいで人々がギスギスしてきているのが、もっと嫌。

今日もテレビをつけたら、新型コロナウイルスの話題でいっぱいでした。

見ていると、だんだん人々が殺気だってきているというか、ギスギスしてきているというか、穏やかでなくなってきているというか、気持ちに余裕がなくなってきている、ということを感じます。

お釣りを手渡しされたことに腹が立って…とか、
マスクを求めてドラッグストアの店員さんに暴言を吐く…とか。


先日は、マスクを配ることをした人が、もらえなかった人に詰め寄られている映像を見ました。
自分にできることを…と考え、配ろうと動かれたそうなのですが、詰め寄られたあと、涙を流しながらつらそうに話をされている姿を見て、とてもやるせない気持ちになりました。

よかれと思って行動されたのに、そうやってがんばっている人がつらい思いをしないといけないなんて、なんだか違う気がします。
おかしいです。
(仮に配り方に問題があったにしても、あんなに詰め寄るのは、人として、よろしくないです)

そりゃ、マスクが手に入りにくい今ですから、必死になる気持ちもわからなくはないです。
でも、だからと言って、あんな風に詰め寄るだなんて、やっぱりわたしは納得がいきません。


マスクで言えば、わたしももう残りが少ないので、洗って何度も使うようになりました。
家にあった布でマスクも作ってみました。

マスクに限ったことではないですが、そうやって、できる人ができることをすることで、そんなにムキになる状況に陥る必要はなくなるような気がします。
例えば、手作りマスクを使うのが当たり前になれば、全てのマスクは、医療現場など必要なところに行き渡るはずだと思うのです。
(ちなみに、コロナのことが話題になってからマスクは一度も買っていません。毎年、冬に入る前に買うので、今もその残りを使っています)


こんな状況になったことがないし、気持ちに余裕がなくなるのはわかります。
こういうときだからこそ、その人の本性が現れるのかもしれせん。
人って、弱い生き物なのだと改めて思う今です。

でも、「みんなも大変なのだ」「みんな、必死なんだ」と、ちょっと想像・意識を広げるなど、自分のことだけじゃなく、周りのことも考えられるような人に、わたしはなりたいです。


そんな中、楽しい取り組み・心暖まる企画・これまでの技術をいかした新しい仕事などをされている人(企業)もたくさん見かけます。
テレビだけじゃなく、その辺のスーパーでもホッとするやりとりを見かけることもあります。

それに対しては、ただただ尊敬の気持ちでいっぱいですし、
こんなときだからこそ、心が暖まります。



※テレビやネットなどのメディアは、どうしても問題のあることをたくさん取り上げるので、見ている方も「ギスギスしてきてるなぁ」と感じてしまうのだろうとも思っています。