ぐうたら人間のヒトリゴト~心・身・写・音・暮~

一人暮らしの日々、仕事のこと、世の中のことを日記・記録・メモ・独り言としてとりあえず綴る場所・・・

物と思い出と値段。

何度か書いていますが、少し前から「メルカリ」を始めました。

始めたばかりのときは、取引回数が3桁の人を見ると、「100を超えるって、すごいな」「プロやな」と思っていましたが、気づけば、わたしも50を超えていました。
最近は「100を超えるのは、案外すぐなのかもしれんな」と思っています。

ということで、始めてから3ヶ月くらいが経ちますが、おかげさまでちびちびと少しずつ売れています。


そんな今日この頃なのですが、ちょっと最近、よくわからなくなることがあります。
売りたいのか、売りたくないのか、が自分でもよくわからないときがあるのです。

どういうことかというと、「あまり売れてほしくないなぁ」と思って、高めに値段を設定してしまうことがあるのです。
そうです、「高く売りたいから高く設定する」ではなく、「あまり売れてほしくないから高く設定する」ことが時々あるのです。
もう、よくわかりません。


出品しているのは、もちろん不用品です。
売るために出品しているのです。
なのに、あまり売れてほしくないだなんて矛盾しているなぁと自分でも思います。

自分でも不思議ですが、いくら不用品であっても、例え、ここ何年も使わずにしまい込んでしまっていた物だったとしても、いざとなると、惜しくなるみたいです。
それを購入したときのこととか、その品の良さなど思ってしまって。

「これがほしくていろんなお店を探し回ったよなぁ」とか
「これ、好きやったなぁ」とか
「これ着て、みんなで出掛けたよなぁ」とか

なので、売る気マンマンで掘り出してきて写真を撮って出品しても、「ちょっと待てよ。すぐに売れたらイヤやな。ちょっと猶予がほしいな」と思って、高めの値段にしてしまっています。
数日経てば、気持ちも薄れてきて値下げできることが多いのですけど。


他の人はどうなのでしょう。

少なくともわたしの場合は、物そのものの価値・値段ではなく、そこに思い出もプラスされた状態で値段設定をしているのだなと思います。
もうちょっと割り切って考えられると、さくさくと売れるのかもしれませんが、わたしの性格上、それは無理でしょう。

逆にいうと、思い入れがないものは、とても安いと思います。
なので、見ている人からしたら、値段設定はおかしいかもしれせん。

そんなこんなで、これからも、葛藤しながら、物と思い出に値段をつけていくのだろうと思います。
ぼちぼちがんばりながら、室内をすっきりさせたいです。

おわり。