前回、カメラのことについて書きました。
数年ぶりにカメラを触り始めたという話を。
では、そもそも何故、今年に入るまで、数年もカメラを放置していたのか?
それは、前の仕事(学校)を辞めたのがきっかけだと思います。
前の仕事をしているとき、わたしは写真を撮るのが好きだと思っていました。
仕事中はもちろん、プライベートのおでかけでも、よく写真を撮っていたので。
だから、撮れる写真の幅をもっと増やすために、思いきってレンズ交換式のカメラを買ったわけです。
が、仕事を辞めて気づきました。
「わたしは写真を撮ることがそんなに好きでも嫌いでもない」ということに。
忘れもしません。
辞めてすぐに、近所に桜を撮りに行ったとき、そんなに楽しいと思わなかったことを今でもはっきりと覚えています。
あれこれ撮っても、「で?」って感じで。「だから何?」って感じで。
そのとき、わたしは考えました。
「なぜ、撮るのが楽しくないのだろう?」と。
で、行き着いた答えが、「これまでは“誰かのために”というのがあったので、張り切って撮ることができていたのだろう」「今は見せたい相手がいないから楽しくないのだろう」というものでした。
今でこそ、自分のための楽しみをいくつか持っていますが、当時のわたしは「仕事人間」で、趣味といえる趣味もなく、「誰かのため」というのがいろいろなことのモチベーションになってしまっていました。
カメラ(写真)もそうだったようです。
担任している子どもたちやその保護者に見てもらいたい、喜んでもらいたい、というのがあったから撮っていたのだろうと思います。
でも、仕事を辞めたあと、その「撮る目的」がなくなってしまいました。
なので、楽しくなくなってしまったのだと思います。
写真を撮るのが好き、というのは勘違いだったいうわけです。
それを知った周囲の知人は、「これからは、SNSに投稿するとか、フォトコンとかに応募するとか、そういうのを目的にしてはどうか?」などと言ってくれました。
が、どうもそういう意欲はわきませんでした。
当時のわたしは、やはり「自分のために自分が楽しむ」みたいな感覚はなかったので。
「別に知らん人にみてもらってもなぁ」
「応募もしたいと思わんしなぁ」
「撮っても“で?”で終わるだけやろなぁ」と。
そんなこんなで、カメラを放置する流れになった次第なのです。
それから数年。
なぜ、今年になって、カメラが復活したかは、自分でもよくわかっていません。
(ちょっとした撮影の機会があったのがきっかけではあるのですが)
当時と違って今は、例えば昨年からやり始めた「消しゴムはんこ」など、「自分で楽しめるもの」が持てるようになってきています。
そういう感覚が出てきたので、カメラに関しても、楽しめるようになったのでしょうか。
と言っても、満足いく写真が撮れたことなんて、ほんの少ししかないです。
でも、「悔しいな」と思って、「こういうときはどうすればよかったんやろ?」というのを調べたり、試したりするのも、また良しです。
出不精なわたしが、少しだけ出歩くようにもなりましたし。
何より、せっかく買ったカメラが無駄にならなくて本当によかったですので。
飽きっぽいところがあるので、いつまで続くかわかりませんし、忙しくなったら辞めてしまうのかもしれませんが、しばらくは楽しもうと思っています。
おわり。