正しさは人によって違う。朱に交われば赤くもなる。だから洗脳される。
先日、オウム真理教に関することを少しだけ書きました。
「当時は、わたしはまだ子ども(高校生)でオウムをネタにしてしまっていた」というような内容です。
ama-shinon.hatenablog.com
あのあと、少しだけですが、事件の詳細をもう一度調べたり、教団メンバーに関する記事を読んだりしました。
そして、思ったのが、「たまたまオウムに出会って罪を犯すまでになってしまった人」と「わたし」との違いは、そんなにないのかもしれないな、ということでした。
うまく言えないですけど、「わたしだってタイミングが合ってオウムと出会っていたら、どうなっていたか、わからない」ということです。
正しさ***
事件当時は、オウムに限らず、「洗脳されること」について、「信じられない」という思いしかありませんでした。
「そんなん絶対おかしいって、わかるやん。」みたいな感じです。
ですが、最近よくわからなくなるときがあるのです。
例えば、それらしき人がそれらしくしゃべっていたら、なんだか正しいことを言っているのだろうという気になってしまうのです。
それは、ただの錯覚かもしれないし、本当に正しいのかもしれません。
しかも、正しさの基準なんて、人それぞれ違うのです。
変な例えですが、「牛乳は体に良くない」という考えの人もいれば、「牛乳は体に良い」という考えの人もいるのです。
そんな風に「いろんな考え方があって、その人なりの正しさがある」と考えると、誰の話を聞いていても、「なるほどなぁ」と受け入れてしまう今日この頃なのです。
朱に交われば***
あと、「人は環境に影響を受けやすい」とも思います。
「朱に交われば赤くなる」ではないですけど、最初は、周りとは違う感覚を持っていても、長らくその環境にいると、周りと馴染んできてしまうのです。良くも悪くも。
なので、教団の一員となり罪を犯してしまった人も、最初からそんなつもりで入団?入信?したわけではなく、そこにいるうちにだんだん感覚が麻痺してきたのだろうなと思ったわけです。
(決して肩を持っているわけではなく、「わたしもそうなる可能性はあった」という意味で書いています。)
わたしだって***
そんなことを思うと、わたしだってタイミングが合ってオウムと出会っていたら、どうなっていただろう?と思うわけなのです。
もちろん、世代が違うので実際にはあり得ない話なのですが。
とにかく、人って意外と簡単に洗脳されるものなのかもしれないと思いましたし、なんなら、今も洗脳されてないと思っているだけで実は洗脳されてるのかもしれないのです。
おわり。
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