戦争孤児と上栗頼登さん。
<今日の川柳>
止まぬ雨 もしもに備えて 充電する
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先日、夜中にドキュメンタリー番組が放送されていました。
戦争孤児の収容所「広島新生学園」を自費で作った「上栗頼登(かみくり よりと)」という人の話でした。
上栗さんは、もう亡くなっており、その学園で育った方が昔を振り返りながら語ってくださる感じで番組は進んでいったのですが、番組をみながら色々なことを思いました。
そういう行動をされたのがすごい
うすっぺらい感想で申し訳ないですが、まず、そういう行動をされた上栗さんがすごすぎると、ただ単純に思いました。
しかも、上栗さんは子どもの扱いに慣れていたとか、そういう方でもないのです。
なのに、戦争孤児に手を差しのべようと思う、
思うだけでなく、実際に場所を作る、
本当にすごすぎます。
国の様々なことが機能していなかった時代だと思いますが、そうやって何もないところから行動をされた方がたくさんいたのだろうなと思いますし、そういう方がいたから救われた方もたくさんいたのだろうと思いました。
特に昔は「国の施策を待つ」のではなく、「自分が動く」だったのでしょうか。
「国」という大きな単位ではなく、「一人の人」という小さな単位で始まったことがあちこちにあったのかなと思いました。
いつの時代も犠牲者は子ども
当たり前ですが、そもそも戦争は子どもが始めたものではありません。
なのに、こうやって犠牲になるのはいつも子どもなのか…となんともいえない気持ちになります。
まだまだ小さいのに、急に身寄りをなくし、絶望感でいっぱいになる…
なんでこんな目にあわないといけないのだ?と思います。
生きていくためには、盗みをしないといけなかったという言葉も出てきて、子どもたちが追い詰められている状況がより伝わってきました。
少し状況は違うかもしれませんが、今もそうです。
「コロナだ」ということで犠牲になっているのは子どものような気がしています。
「会食を控えよう」と言われていても、こっそりどんちゃん騒ぎをしている大人。
一方で、「黙って給食を食べましょう」と我慢させられる子ども。
小さい体でマスクをつけて。楽しいイベントも我慢して。
もちろん、がんばっている大人もたくさんいるのですけど。
差別や偏見
ここで育った方が就職したとき、職場の人から差別をされたというような話をされていました。
しかも、その人の職場は学校。学校に勤めている方が心ない発言をするのです。意味がわかりません。
この人がいったい何をしたのだ?
戦争で親を亡くしたことの何が駄目なのか?
この人のせいなのか?
この人自身の努力でどうなることでもないのに、なぜ?
戦争孤児といわれる方はそういう偏見の目をずっと向けられ続けないといけないというのはおかしいのでは?
ものすごく悔しい思いになります、勝手に。
でも、そういう間違った感覚がまだまだたくさんあった時代だからこそ、そういう時代でも戦争孤児に手を差しのべた上栗さんは、やはりすごい方だと最初の感想に戻るわけです。
その時代にはびこる「価値観」というのか、「その時代、その環境の中での常識」みたいなものに惑わされず、
まっすぐに行動していくことは、なかなかできることではありません。
いや、できる人はたくさんいるのかもしれませんが、少なくともわたしは流されやすいので無理です。
ですが、「子どもが犠牲になっていないか?」という視点はこれからも大事にしながら働いていきたいなと思っているところです。
おわり。