特別支援学校。
時々、特別支援学校に行くことがあります。
仕事で行くときもあれば、仕事ではないときもあります。
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行くと、いろいろなことを考えさせられます。
普段、わたしは子どもたちに何をしているんやろう?
自分がやっていることは間違いではないか?
などなど。
一番、感じるのは「学校って、本来はこうあるべきなのだよな」ということです。
どういうことかと言うと、わたしが訪れる特別支援学校は、子どもが常に主役なのです。
学校行事も普段の授業も。
わたしの理想とする学校も、「主役は子ども」「スタートは子ども」です。
いや、わたしの理想ではなく、本来はそうあるべきだと思います。
でも、現実は違います。
例えば、運動会では「○年生はこの団体演技をします」「この団体競技をします」「ここをクリアしなさい」と、子どもたちからしたら、上から枠が降ってくる感じです。
一応、子どもの実態からスタートはしているのでしょうが、このときの「子ども」というのは、「一人ひとり」ではなく「ざっくりまとめて」の子どもです。
だから、その枠に当てはまらない子・枠から飛び出る子もいます。
そうすると、その子たちは問題視されます。
運動会に限ったことではありません。
ある一定の枠を作り、その枠に入らない・入れない子を問題視する。そういうことは日々あるような気がしています。
でも、わたしが訪れる特別支援学校は、スタートは一人ひとりの子どもなのです。
音楽発表会でも、それぞれが思いっきり力を発揮できる役割を持たせてもらえているのです。
「リコーダーができないから吹き真似でもしておこう」「あぁ、音楽なんてきらいや」なんてこと(うちの学校みたいなこと)にはならないのです。
いろいろな子が通う公立の学校なのだから、そうやって幅を持たせて、その子らしさが発揮できる行事や授業にすべきだと思う今日この頃です。