顔面神経麻痺になって思ったこと(2)
ama-shinon.hatenablog.com
のつづき。
以下、過去の記録を貼り付け*****
療養中は、前向きになったり、後ろ向きになったりしながら、いろんなことを考えた。
病気になったことに対して、何かと意味を見出だそうとした。
「疲れてたから、少しは休みなさいって神様が言うてるのかな」
「仕事、辞めようと思いながらタイミングがわからずズルズルきてたから、神様がきっかけを作ってくれたんかな」
元気なときは「神様」なんて、そっちのけなのに、そういうときだけ、やたらと「神様」と言う言葉が頭の中をよぎる。
五年ぐらい前に買った詩集の中のひとつ。
「かわいそうに神様は
私の中で
生かされたり
殺されたり」
まるでこれ。
普段は「神様」なんて言葉使わないのに、弱ると連呼する。
私って都合が良い人間やな、と思った。
「適当に生きてきたから神様が怒ってるんかな」
たぶん、神様はそんなことはしない。
だって、職場の人が電話で言っていた。
「神様はいじわるなんかしはらへん。
今まで頑張ってきた人にいじわるなんかしはらへん。
ちゃんと神様は頑張ってる人を見ててくれはる。
絶対治るから大丈夫。」
いろいろ考えながら、結局は
「生きていけることに感謝せなあかんよな」
「生きてるだけで丸儲けって、凄い深い言葉やな」
「のんびり行こう」
という思いに突き当たる。
病気と言っても、そんなたいした病ではなく、もちろん命に関わる訳でもなく、私はおおげさに捉らえすぎていたのだと思う。
だが、そのときは「今後」を想像すると、後ろ向きな思いしか出てこなかった。
「今後の生活」を考えると、働いていない・働けない・生活できない・生きていけないことに焦りを感じ、気持ちが真っ暗になった。
確かに尼に帰れば(引っ越せば)、生活には困らないのだろうが、それは私にとって違う次元の話。
冷静になって考えると、本来、病気になったことに意味などあるわけないのだろうが、何かに繋げていかないと気持ちが落ち着かなかった。
そして今まで何も考えずに当たり前に出来ていたこと
コンタクトレンズ
ぶくぶくうがい
洗顔
化粧
ウインク
がつがつ食べる
ヘラヘラ笑う
などが、出来なくなったことで、「当たり前のこと」に感謝するようにもなった。
うちのばあちゃんは病気で右半身が麻痺している。
私は顔だけだが、ばあちゃんは右側全部が麻痺。
顔だけでも大変なのに、右側(利き手がわ)全部が言うこときかないって、どれだけ大変なことなんだろう、と、そのとき初めて実感した。
動かしたくても動かない。
あのもどかしさ。
朝、目が覚める
お腹が空く
…ありがたい。
時間がいっぱいある
好きなだけ本が読める
…ありがたい。
考えてみれば、
ちょうど冬でマスク・マフラーをしててもおかしくない季節
病院だって小さいけれど、たまたま「耳鼻科」もやってる病院
…最高に運が良い。
とにかく、あとになって「病気になってよかった」と言えるぐらいの価値を見出だしたかったし、
私なりに見出だせたとも思う。
おかげで、父は一人でマクドに買い物に行けるようになったし。
な?
つづく。