顔面神経麻痺になって思ったこと(4)【まとめ】
ama-shinon.hatenablog.comのつづきです。
3回にわたって、過去の記録を貼り付けてきました。
ちなみに、あれらの記録を書いたのは、顔面神経麻痺になってから半年以上たった頃でした。
状況としては、
病気がわかって仕事を辞めて、新たな職についたけど辞めてしまって…というとき。
さらにいうと、今の職に就く直前です。
そのときの記録を今回、記事にしようと思ったのは、なぜかよくわかりません。
ここ数日、体調不良で思うように体が動かなかったからかもしれませんし、最近、歯が痛いからかもしれません。
もしくは、ちょうど10年くらいが経った今、「初心を忘れるなよ」という意味で思い出したのかもしれません。
*****
最初に書いたように完治したものの、いまだに顔が引っ張られるときはあります。
でも、日常生活には何の支障もないです。
当時は、つらかったですが、病気になって良かったこともたくさんあったと思っています。
あれがなかったら、今の職には絶対たどり着いていないはずですしね。
といいつつ、もう一度、同じ病気になったら喜べるかと言えば、そうでもありません。
そうなったら、仕事ができなくなるし、
そうなったら、生活していけなくなります。
だから、やっぱり健康第一です。
*****
ちなみに、あれらの記録は、mixiというところで綴っていたものです。
わたしは、2007年からずっとmixiであれこれ綴り続けていました。
今は、ここに変わりましたが、アカウントは今も残っていますし、頻繁に覗いています。
気のせいか、わかりませんけど、過去の方が今より文章が濃い気がします。
中身もしっかりしているというか…。
ということで、まとまりませんが、終わります。
おわり。
顔面神経麻痺になって思ったこと(3)
ama-shinon.hatenablog.com
ama-shinon.hatenablog.com
のつづき。
以下、過去の記録を貼り付け*****
働けなくなって、思った。
「働けるってありがたい」
「健康ってありがたい」
そして、
「顔が治ったら、どんな仕事でもしますから、神様たすけてください」
と、ことあるごとに祈った。
なのに、いざ回復しはじめて、新しい職に就いたと思ったら、二ヶ月で辞めてしまった。
そもそも、その職に就いた理由もわからない。
病気をきっかけに「お金の必要さ」を知った。
だから、安定した職(正社員)に就きたかった。
まだ顔が完治していなかった。
再発の不安も勝手に抱いてた。
だから顔を隠せる仕事がしたかった。
今年で29歳になる。
だから新たなことをするのは最後のチャンスのような気がした。
そんなことを総合した結果、そこを選んだような気がする。
そして今、またフラフラしている。
「なんでもしますから」と誓ったくせに、なんにもしていない。
働けるだけでありがたいのに。
ちなみに病気はひとまず治った。
時々、違和感はあるが、ひとまず治った。
人によって、回復のペースは様々で、半年かかる人もいれば、一年かかる人もいるし、
ある程度回復したらもうそこで回復が止まってしまい、後遺症が残る人もいる、
と聞かされ、最悪の事態を覚悟して、
でものんびりと過ごしていたら、お医者さんもビックリの猛スピードで回復していった。
3月7日に通院終了。
「ちゃんと言われた通り仕事をセーブしてくれたからだね」
「きっと若いからだね」
「良かったね」
と先生はひたすら誉めて喜んでくださったが、
ほんとうに私は何もしていない。
ここまでに回復したのは、きっと
先生のおかげ。
先生以外の病院の人のおかげ。
仕事を休ませてくれた職場の人のおかげ。
アドバイスくれた弟のおかげ。
呑気な家族のおかげ。
要するに周りの人たちみんなのおかげ。
一人が好きで、人付き合い悪いわたしだが、
人って人に助けられてるんやな、と知る。
なぜ今更、こんな暗くて辛気くさい話をわざわざ書き留めているのか、って、
別に「わたしって不幸でしょ?」とアピールしてるわけでなく「わたしって凄いでしょ」と自慢してるわけでもなく。
神様に誓ったにも関わらず、今、こんな状況にある自分。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、
ではダメ。
贅沢は敵。
初心を忘れるな。
と。
あの経験を無駄にするなよ、
と。
散々周りに心配・迷惑をかけたんやから、しっかり恩返しせぇよ、
と。
働けるってありがたいのだから、働けよ、
と。
な?
つづく。
顔面神経麻痺になって思ったこと(2)
ama-shinon.hatenablog.com
のつづき。
以下、過去の記録を貼り付け*****
療養中は、前向きになったり、後ろ向きになったりしながら、いろんなことを考えた。
病気になったことに対して、何かと意味を見出だそうとした。
「疲れてたから、少しは休みなさいって神様が言うてるのかな」
「仕事、辞めようと思いながらタイミングがわからずズルズルきてたから、神様がきっかけを作ってくれたんかな」
元気なときは「神様」なんて、そっちのけなのに、そういうときだけ、やたらと「神様」と言う言葉が頭の中をよぎる。
五年ぐらい前に買った詩集の中のひとつ。
「かわいそうに神様は
私の中で
生かされたり
殺されたり」
まるでこれ。
普段は「神様」なんて言葉使わないのに、弱ると連呼する。
私って都合が良い人間やな、と思った。
「適当に生きてきたから神様が怒ってるんかな」
たぶん、神様はそんなことはしない。
だって、職場の人が電話で言っていた。
「神様はいじわるなんかしはらへん。
今まで頑張ってきた人にいじわるなんかしはらへん。
ちゃんと神様は頑張ってる人を見ててくれはる。
絶対治るから大丈夫。」
いろいろ考えながら、結局は
「生きていけることに感謝せなあかんよな」
「生きてるだけで丸儲けって、凄い深い言葉やな」
「のんびり行こう」
という思いに突き当たる。
病気と言っても、そんなたいした病ではなく、もちろん命に関わる訳でもなく、私はおおげさに捉らえすぎていたのだと思う。
だが、そのときは「今後」を想像すると、後ろ向きな思いしか出てこなかった。
「今後の生活」を考えると、働いていない・働けない・生活できない・生きていけないことに焦りを感じ、気持ちが真っ暗になった。
確かに尼に帰れば(引っ越せば)、生活には困らないのだろうが、それは私にとって違う次元の話。
冷静になって考えると、本来、病気になったことに意味などあるわけないのだろうが、何かに繋げていかないと気持ちが落ち着かなかった。
そして今まで何も考えずに当たり前に出来ていたこと
コンタクトレンズ
ぶくぶくうがい
洗顔
化粧
ウインク
がつがつ食べる
ヘラヘラ笑う
などが、出来なくなったことで、「当たり前のこと」に感謝するようにもなった。
うちのばあちゃんは病気で右半身が麻痺している。
私は顔だけだが、ばあちゃんは右側全部が麻痺。
顔だけでも大変なのに、右側(利き手がわ)全部が言うこときかないって、どれだけ大変なことなんだろう、と、そのとき初めて実感した。
動かしたくても動かない。
あのもどかしさ。
朝、目が覚める
お腹が空く
…ありがたい。
時間がいっぱいある
好きなだけ本が読める
…ありがたい。
考えてみれば、
ちょうど冬でマスク・マフラーをしててもおかしくない季節
病院だって小さいけれど、たまたま「耳鼻科」もやってる病院
…最高に運が良い。
とにかく、あとになって「病気になってよかった」と言えるぐらいの価値を見出だしたかったし、
私なりに見出だせたとも思う。
おかげで、父は一人でマクドに買い物に行けるようになったし。
な?
つづく。
顔面神経麻痺になって思ったこと(1)
約10年前、わたしは、顔面神経麻痺になりました。
完治しましたが、いまだにあくびをするときなんかは、顔がひきつっている感覚があります。
以下、過去の記録をそのまま貼り付け****
1月1日。
出勤。忙しく働く。
1月3日。
出勤前に初詣。おみくじ「大吉」。
なのに晩に自転車がパンク。
1月4日。
晩、歯が激痛で眠れない。
1月5日。
再び、晩、歯痛。
1月7日。
舌に違和感。数日前からの歯痛のせいか?と。
1月8日。
朝から目に違和感。仕事中も笑うと変な感覚。口が開きにくく、お昼ご飯もうまく食べられない。時間が経つにつれ、変な感覚が増す。歯痛のせいで、顔が腫れたのか?と。
帰宅して、鏡を見ると、右半分がおかしい(あまり動いていない)ことに気付く。
1月9日。
歯医者に予約を取ろうと数件に電話をする。なんとか翌日診てもらえるところを発見。
ブクブクうがいが出来なくなる。食事も口がいうことをきかない。
1月10日。
朝一に歯医者。顔のことを聞いてみるが、取り合ってもらえず。
仕事まで時間があったので、藁にもすがる思いで近所のお医者さんに駆け込む。待合室の患者さんの多さに時間が気になり、「仕事があるのでやっぱり良いです」と帰ろうとしたが、あまりの私の顔のおかしさに引き止められ、すぐに診てもらう。
いろんな検査を受ける。
『顔面神経麻痺』と診断される。
歯痛とは何の関係もない。とのこと。
簡単にいうと、バイク事故後の北野武みたいな病気だ。とのこと。(彼は外傷性)
「仕事仕事って顔がどうなっても良いの?」「この病気は発症から10日間ぐらいが勝負なのだから、仕事なんかしてる場合じゃない」「休まないとどうなっても知らないよ」「ひたすら安静にしていなさい」などと先生にいっぱい叱られる。
でも、病気の説明のあとに、「焦らず、気長に病気と付き合っていきましょうね」「一緒に頑張りましょうね」と。
先生の話を聞いてる間は、「なんかドラマの世界みたいやな」と冷静で、どこか人ごとみたいに感じていたのだが、診察室を出てた途端、急に恐ろしさがやってきた。
相変わらず待合室にはたくさんの人が居て、ざわざわしているのだが、
自分の周りだけ音がなくなってしまったような、自分だけ違う世界にいるようなそんな感覚に陥った。
これからの人生どうなるんだろう
わたし、なんか悪いことしたんかな
こんなんでごめんな
賑やかな待合室で孤独感、絶望感に襲われていた。
帰宅後、病気について自分でいろいろ勉強。
弟にも相談。
弟は楽観的で「薬(ステロイド剤)は出来るだけ飲まんほうが良いんでない?」「飲まんくてもそのうち治る」と。
でも私は最悪の事態は避けたかったから、出来る限りのことはしたくて、苦手な薬もキチンと飲んだ。
と同時に「そんなたいしたことない病気なんや」と少しだけ気が楽になった。
1月10日。
味覚が変。味がしない。
瞬きの力がない=コンタクト(ハード)が外せない
水を張った洗面器に顔をつけるが外れない。
1月11日。
コンタクト外し器、購入。
1月12日。
麻痺が進行している。目を閉じる力が低下。
出来るだけ進行を抑えるために薬の量を増やされる。注射も打たれる。
1月13日。
自分で顔を撮影。目が閉じていない。白目が見えている。顔を洗うのも不便。
会話も「バ行」「パ行」「マ行」がうまく発音できない。
1月15日。
発症から一週間経過。
進行期はおそらく終了。
この時期、どんな顔であったか言葉ではうまく表現できない。
左半分は正常・右半分は無表情。
じっとしていたら、そうでもないが、表情を崩すと酷かった。
笑うと、右側全部が左の力にひっぱられて、歪む。
外出時は常に大きなマスクとマフラーで顔を覆っていた。
あの当時の顔を知っているのは、お医者さんと家族ぐらい。
つづく。
初めて「れんこん」を買ったかもしれない。
昼間に書いたように、昨日より楽になった今日ですが、外出はせず、おとなしくしていました。
(外出しないのは、いつものことですが。)
でも、少し楽になったことがうれしかったのか、敷物を絨毯に変えたり、冬服を出したり…と室内では活動的に過ごしていました。
これで、少しは暖かく過ごせそうです。
来週は、もう11月になりますからね。
*****
今日の晩御飯は、ごぼうとれんこんのきんぴらでした。
れんこんを切りながら、
「れんこんを切ったのは、初めてのような気がする…」
と思いました。
一人暮らしを初めて、10年以上が経っていますが、たぶん、自分でれんこんを買って調理したのは、今日が初めてです。
(覚えていないだけかもしれませんが…)
ちなみに、今日の晩御飯は、
・ぶり大根
・ごぼうとれんこんのきんぴら
・鶏肉の照り焼き
・ブロッコリー
と、ブロッコリー以外は、「ザ・茶色」でした。
まぁ、体には良さそうなので満足です。
もちろん、最近の週末の楽しみだった缶チューハイは、体調のことを考えて、休みです。
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またもや台風が来ているようです。
明日は、どうしようかな。
おわり。
この一週間のまとめ。
23日(月)
台風。休校。
お昼は、2人前食べるくらい元気。
夜に口の中の痛みに気づく。
24日(火)
口の中の痛みは、口内炎だったことに気づく。
少し咳が酷くなる。
25日(水)
咳が酷いのと、喉が少し痛いのとでマスク。
26日(木)
声が少し変化。
27日(金)
喉が痛すぎる。
咳に加えて、鼻水も大量。
相変わらず口内炎も痛い。
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一週間でみるみる悪化していきました。
昨日は、もう何がなんだか…でした。
喉の痛みもつらかったですが、口内炎がまずつらかったので、
昨日、仕事帰りに口内炎の薬を買ってきました。
で、寝る前に使用したところ、
今朝には、なんと喉痛が治っていました。
肝心の口内炎はまだ治っていませんが、
痛みが一つなくなって少し快適になりました。
*****
ちなみに、昨夜は、
ポカリスエットを飲んで、
味噌汁やごぼうサラダをパクパク食べました。
わたしの中では、風邪をひいたらポカリなのです。
昨日より体調が改善したのは、ポカリのおかげだとも思っています。
おわり。