ぐうたら人間のヒトリゴト~心・身・写・音・暮~

一人暮らしの日々、仕事のこと、世の中のことを日記・記録・メモ・独り言としてとりあえず綴る場所・・・

苦しみから逃れるための救い・支えがないとわかって、悟りを開きたくなった。

自分ではどうしようもない状況・前にも後ろにも進めないような絶望感の中にいると、気持ちがしんどくなり、何か救いになることを探してしまいます。
ちょっとでも気持ちが楽になるといいなと願って、必死になって探してしまいます。

世の中には、いろいろな宗教がありますが、それにすがりたくなる気持ちがよくわかります。


体に異変を感じた話を前に書きました。
ama-shinon.hatenablog.com


結局は何事もなかったのですけど、
結果がわかるまでは、とても不安で、言葉では言い表せないくらいのどうしようもない気持ちでいっぱいでした。

不安から逃れるために、楽しいことを考えようとするのですけど、無理でした。
心の拠り所となるものを考えましたが、何も支えにはなりませんでした。

とにかく、何をしても、何を聞いても、何を見ても、心のどこかにある重いものがなくなることはありませんでした。


わたしが、小心者で、ビビりで、打たれ弱くて、脆いからそうなるのでしょうけど、世の中のわたし以外の人はすごいなと思いました。
いろいろありながらも、なんでもないような感じで過ごすことができるのですから。

いや、もちろん、心の中にそういうのを忍ばせてはいるのでしょうが、それを醸し出さないのがすごいです。
わたしは、無表情・無気力になるので。


とにかく、何も救いにならないし、支えにもならないということがわかりました。
(あくまでも「わたしの場合は」です)
結局は、自分自身で乗り越えるしかないのです。

なので、わたしはとうとう「悟りを開いたら楽になれるのかな」というところにまで行ってしまいました。
自分の中の感情を全てなくしたかったのです。

そして、悟りを開くための方法を調べてみました。
が、ちょっと難しそうでした。

なので、あきらめました。


悟りは無理でも、何事にも動じない心の強さみたいなものは欲しいなと思いますが、無理なのでしょうか。