「部落差別解消推進法」が施行されて、わたしが思ったこと。
少し前のことになりますが、
2016年12月9日に成立しました。www.nikkei.com
そのニュースを知ったとき、わたしはただ単純に
「おぉっ、すごい!」「やったぁ!」
と思いました。
とても大きな動きを感じて、興奮したことを覚えています。
が、その考えは、とても甘かったことに少ししてから気づきます。
なぜなら、この法には、罰則がないから。
そこを指摘している人がいるのを知り、
そうか…それで喜んでいるわたしはまだまだ甘かったのだなぁ…と、少し反省しました。
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が、やっぱりこれは大きなことだと思います。
今もなお、部落差別は残っているし、それを「みんなで」なくしていかなければならない、
ということだと思います。
こうやって「みんなで」という表現をすると、
ついつい「自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう」と人任せにしてしまうのが人間の性だとは思いますが、
そうではなく、
「自分もその中の一人なのだ」という意識を持つことが大事だとも思います。
一人ひとりが「なくしていこう」とすることができれば、
すぐになくなると思うのですけど。
一人ひとりが「正しく知る」ことをして、「正しい感覚を持つ」ことができれば、
世の中のあらゆる差別はなくなると思うのですけど。
それが難しいから、こんな法を作らないといけないのでしょうね。
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この法ができて、心強い反面、
こんな法が作られないといけない社会って、どうなんだろう?とも思います。
ある意味、恥ずかしいこと・情けないことのような気がします。
こんな法が作られないと「差別がおかしい」って気づけないということなのですから。
人として最低な「差別行為」がこの社会にたくさん存在するということですから。
2016年4月に施行された「障害者差別解消法」もそうです。
そんな法がなくても、「みんなが」安心して生きていける社会を作っていけるのが、
本来のあるべき姿だと思います。
もちろん、ここでいう「みんなが」というのも、「一人ひとりが」ということです。
多数派だけでなく、少数派も。
誰もが。
です。
いろいろな差別が起こる度に
「○○差別解消法」みたいな法を作らないといけないなんて、なんと悲しい社会なのだろうと思います。
そんな社会にはしたくありません。
「社会」といっていますが、わたしももちろんその一員です。
そんな「差別を生み出している社会」で生きる人間の一人だと自覚して、
わたしも自分にできること・しなければならないことをしていきたいと思う今です。
おわり。