1ヶ月くらい前に書きました。
ama-shinon.hatenablog.com
そのときの内容を箇条書きにすると、
●人々が殺気だってきているというか、ギスギスしてきているというか、穏やかでなくなってきているというか、気持ちに余裕がなくなってきている、ということを感じる。
●がんばっている人がつらい思いをしないといけないなんて、なんだか違う気がする。とてもやるせない気持ちになる。
●こんな状況になったことがないし、気持ちに余裕がなくなるのはわかる。人って、弱い生き物なのだと改めて思う。
●「みんなも大変なのだ」「みんな、必死なんだ」と、ちょっと想像・意識を広げるなど、自分のことだけじゃなく、周りのことも考えられるような人に、わたしはなりたい。
●楽しい取り組み・心暖まる企画・これまでの技術をいかした新しい仕事などをされている人(企業)もたくさん見かける。ホッとするやりとりを見かけることもある。それに対しては、ただただ尊敬の気持ちでいっぱい。
というところでしょうか。
それ以降も、ぼんやりとこのことについて考えています。
「なんで、こんな風になるのかな…」
「なんで、優しくいられないのかな…」
「みんな、自分さえ良ければ、それでいいのかな…」などと。
考えた結果、思ったは「結局、みんな、不安なのだ」ということです。
(まぁ、考えなくても、わかることなのですが…)
その不安を適切に表現できないから、間違った方法で表現してしまうのかな、と思いました。
もちろん、そんな人ばかりではないのですけど、
でも、ギスギスした人がたくさんいる社会は、居心地は良くないです。
わたしは、優しい人がいっぱいいる社会が良いです。
(冷たいわたしが言うのも変ですが)
今、言うこととちゃいますけど、
「さみしい」とか
「こわい」とか
「不安」とか
「悲しい」とか
「つらい」とか
そういう感情を、みんな、我慢しがちです。
でも、我慢するんじゃなく、上手に表現することを
小さいときから丁寧に重ねていけるようにする必要があるのだろうなと思います。
そうすると、「むやみやたらに、人を傷つけること」は、きっと減ります。
いや、わかりませんけど、
そうなったら良いなと思います。
まぁ、でも、「人を傷つけること」が減ったとしても、「優しい人」になれるわけではないですね。
肝心の「優しい人」に、どうやったらなれるかは、わかりません。